レジュメ・アーカイヴ化作業の続きです。
ドゥルーズの 「新しい地図作成者( 『監獄の誕生』 )」
( 『フーコー』、宇野邦一訳、河出書房新社、2007 年、49-87 頁所収)の
レジュメです。
本会では、ミシェル・フーコーの『監獄の誕生』から『性の歴史I』へ
読み進めるにあたって、ブリッジとしてドゥルーズの本論文を読みました
(2009年9月、10月)。
言説の編成を理論的に論じた『知の考古学』、
身体刑から規律訓練への変遷を論じた『監獄の誕生』、
セクシュアリティや生権力の形成を論じた『性の歴史I』と
めまぐるしく変わっていくフーコーの思想の中に、
ドゥルーズお得意の暴力的解釈によって一貫した論理が見出されます。
具体的には、『千のプラトー』で彫琢された「表現」「内容」「ダイアグラム」という
三つ組概念によって、フーコーの思想が見事に整理されます。
ちなみに、ドゥルーズ&ガタリ『哲学とは何か』における「概念」は、
どうもこの論文での「ダイアグラム」に相当する予感がします...
(違ったらごめんなさい)。
2013年2月28日木曜日
2013年2月27日水曜日
ミシェル・フーコー『性の歴史 I: 知への意志』レジュメ
レジュメ・アーカイヴ化、第二弾です。
ミシェル・フーコーの『性の歴史 I:知への意志』のレジュメ(PDF)を公開します。
本会では本書を2009年11月から2010年12月まで読んでいました。
今流行りの「生権力」が初めて定式化された本であるだけでなく、
「セクシュアリティ」概念を確立した点でも重要な本です。
薄い本ですが、様々な切り口から読める濃密さを備えています。
第1章 我らヴィクトリア朝の人間
第2章 抑圧の仮説
第3章 性の科学
第4章 セクシュアリティの装置
第5章 死の法権利と生に対する権力
読解のお供にどうぞ。
ミシェル・フーコーの『性の歴史 I:知への意志』のレジュメ(PDF)を公開します。
本会では本書を2009年11月から2010年12月まで読んでいました。
今流行りの「生権力」が初めて定式化された本であるだけでなく、
「セクシュアリティ」概念を確立した点でも重要な本です。
薄い本ですが、様々な切り口から読める濃密さを備えています。
第1章 我らヴィクトリア朝の人間
第2章 抑圧の仮説
第3章 性の科学
第4章 セクシュアリティの装置
第5章 死の法権利と生に対する権力
読解のお供にどうぞ。
2013年2月13日水曜日
ドゥルーズ&ガタリ『哲学とは何か』読書会 第一回
以前予告した読書会の詳細をお知らせします。
*読書会にご参加いただくには事前に登録が必要です。
日時:2 月20日(水曜日) 18時30分-21時
場所: 赤坂アークヒルズ アーク森ビル
テクスト:ジ ル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』
(財津理訳、河出書房新社、2012年)
範囲:
序論 「こうして結局は、かの問いは......」 7-25頁
担当: 大久保
場所は、これまで通り、アーク森ビルの一角をお借りします。
使用するテキストは、昨年出版された文庫版です。
どうも訳語が少し変わっている程度しか旧版から変更はないようなので、
旧版での参加も可能です。
今回は、まず最初に、ドゥルーズ、あるいはドゥルーズ&ガタリの
著作群の中での本書の位置づけを簡単に見たのち、
序論を読みたいと思います。
序論の前半では、哲学という営みが古代ギリシアにおいて
始まったとき、「友」という存在(「概念的人物」と呼ばれます)を
必要不可欠としたことが語られます。
ここにはすでに、哲学がなんら普遍的な営みではなく、
さまざまな特異な条件の下でのみ生じうる営み、出来事であることが
暗示されていると言えるでしょう。
後半では、哲学とは概念の創造であるというテーゼがまずポジティブに提示され、
他方で、今度はネガティブに、哲学は観照でも反省でもコミュニケーションでもないと
示されます。
いずれにせよ、ドゥルーズ&ガタリに慣れていない方には
冒頭から???という記述ばかりでしょうから、
少しずつ解きほぐしていきたいと思います。
それでは、お楽しみに。
*読書会にご参加いただくには事前に登録が必要です。
日時:2 月20日(水曜日) 18時30分-21時
場所: 赤坂アークヒルズ アーク森ビル
テクスト:ジ ル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』
(財津理訳、河出書房新社、2012年)
範囲:
序論 「こうして結局は、かの問いは......」 7-25頁
担当: 大久保
場所は、これまで通り、アーク森ビルの一角をお借りします。
使用するテキストは、昨年出版された文庫版です。
どうも訳語が少し変わっている程度しか旧版から変更はないようなので、
旧版での参加も可能です。
今回は、まず最初に、ドゥルーズ、あるいはドゥルーズ&ガタリの
著作群の中での本書の位置づけを簡単に見たのち、
序論を読みたいと思います。
序論の前半では、哲学という営みが古代ギリシアにおいて
始まったとき、「友」という存在(「概念的人物」と呼ばれます)を
必要不可欠としたことが語られます。
ここにはすでに、哲学がなんら普遍的な営みではなく、
さまざまな特異な条件の下でのみ生じうる営み、出来事であることが
暗示されていると言えるでしょう。
後半では、哲学とは概念の創造であるというテーゼがまずポジティブに提示され、
他方で、今度はネガティブに、哲学は観照でも反省でもコミュニケーションでもないと
示されます。
いずれにせよ、ドゥルーズ&ガタリに慣れていない方には
冒頭から???という記述ばかりでしょうから、
少しずつ解きほぐしていきたいと思います。
それでは、お楽しみに。
2013年2月6日水曜日
[告知]ドゥルーズ&ガタリ『哲学とは何か』読書会始めます
2013年2月3日日曜日
ジョルジョ・アガンベン『ホモ・サケル』 レジュメ
本研究会では2011年1月から2012年12月までかけて、
追記:
レジュメをダウンロードする際に
グーグル・アカウントを要求される場合があるようです。
できるかぎり多くの方にアクセス可能な状態に
しておきたいと思っています。
もし他に問題がありましたら、コメント欄にお寄せください。
ジョルジョ・アガンベン『ホモ・サケル』(高桑和巳訳、以文社、2003年)を読んできました。
アーカイヴ化の手始めとして、会で使ったレジュメ(PDF)をアップしておきます。
誤字脱字はご勘弁あれ。
第一部 主権の論理
1. 主権の逆説
2. 主権者たるノモス
3. 潜勢力と法権利(後日公開予定)
4. 法の形式
第二部 ホモ・サケル
1. ホモ・サケル
2. 聖なるものの両義性
3. 聖なる生
4. 生殺与奪権
5. 主権的身体と聖なる身体
6. 締め出しと狼
第三部 近代的なものの生政治的範例としての収容所
1. 生の政治化
2. 人権と政治
3. 生きるに値しない生
5. VP[人間モルモット]
6. 死を政治化する
追記:
レジュメをダウンロードする際に
グーグル・アカウントを要求される場合があるようです。
できるかぎり多くの方にアクセス可能な状態に
しておきたいと思っています。
もし他に問題がありましたら、コメント欄にお寄せください。
ブログ始めました。
読書会の告知や、これまでの読書会のアーカイヴ用にブログをはじめることにしました。
前身の読書会も含めると、この研究会もすでに10年以上(!)続いていることになります。
旧サイトは2008年で更新が止まっていますが、そのあともこの会は続いています。
2008年以降読んできたのは、主だったところでは、
ミシェル・フーコー『監獄の誕生』、
同じくフーコーで『知への意志』、
ジョルジュ・アガンベン『ホモ・サケル』、
でした。
その他にもう少し短いものも読んできましたし、
断続的に合宿形式でジル・ドゥルーズの『シネマ』を読んでもきました。
こうした会の中でレジュメが膨大に溜まっているので、
このブログに少しずつアップしていきたいと思います。
今月2月からは、久しぶりにドゥルーズ&ガタリを読む予定です。
対象となるのは、『哲学とは何か』です。
詳しい予定については改めて別の投稿で。
参加ご希望の方は、リンクのヤフー・グループから登録を申請していただくか
(お返事が滞りやすいですが...)、
ツイッター上で@waschmaschineまでご連絡ください
(すでにヤフー・グループ上で申し込んだのに返事が来ない!という方は、
ツイッター上で連絡していただけると確実です)。
それでは以上挨拶に代えて。
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