2016年12月10日土曜日

ドゥルーズ&ガタリ『哲学とは何か』読書会 第四十回

今年最後の読書会のご案内です。

日時:12月13日(火曜日) 18時30分-21時
場所: 都内某所
テクスト:ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』
(財津理訳、河出書房新社、2012年)
範囲:結論「カオスから脳へ」344-368頁

今回でなんとか『哲学とは何か』を読み終わりたいと思いますが、
ページ数が多いので果たしてどうなりますか…。

前回、哲学、科学、芸術という思考の三つの形態が
カオスとの闘いであると同時にオピニオンとの闘いであることを
見ました。
今回の範囲では、まず、これまでの叙述をふまえ、
それぞれの思考の形態が実際にどのようにこの二つ戦線での
闘いを繰り広げていたのか、簡潔にまとめられます。

結論の後半では、こうした問題が、突如、
脳の問題として捉え直されます。
思考のそれぞれの形態の描く平面が接合される場としての脳。
そして、ゲシュタルト理論を批判しつつ、
その脳が、認識の対象ではなく、むしろ思考の主体sujetであると
主張されます。脳とは精神espritである、と。
その後、哲学、芸術、科学のそれぞれにおいて
脳がどのようにして主体であるのか、確認されます。

本書の最終部分では、思考の三つの平面同士の干渉が
問題となります。
さらに、各平面自身に内在する干渉として、
《非》Nonとの関係が挙げられます。
思考のそれぞれの形態は、それ自身にとっての《非》と
本質的な関係をもち、この《非》は、各平面が
カオスと立ち向かう臨界点において見い出される、と。
さらには、この《非》が「来るべき民衆」と重ね合わせられたところで
本書は終わりを迎えます。

次回も難解な論点が盛り沢山ですが、
がんばって読み切りましょう。

2016年11月25日金曜日

ドゥルーズ&ガタリ『哲学とは何か』読書会 第三十九回

読書会のご案内です。

日時:11月29日(火曜日) 18時30分-21時
場所: 都内某所
テクスト:ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』
(財津理訳、河出書房新社、2012年)
範囲:第二部第七章「被知覚態、変様態、そして概念」332-336頁
   結論「カオスから脳へ」337-350?頁
担当:大久保

今回からいよいよ本格的に結論部に入ります。
前回の議論でも話題になりましたが、
結論部は独立した論文としても読めそうな一貫性を
持っています。

前回の案内と同様になりますが、第七章の最後では、
思考の三つの形態、哲学、科学、芸術が、
カオスとの闘いという観点から整理されます。

結論部では、まず、カオスから身を守るために
われわれはオピニオンを必要とするとされる一方で、
哲学、科学、芸術がそれぞれの仕方で、こうしたオピニオンを
むしろカオスに、無限に開こうとしていることが語られます。
つまり、三つの思考の形態は、カオスに対する闘いであると同時に、
オピニオンに対する闘いでもある。
その後、この三つの形態のカオスとオピニオンに対する闘いが
それぞれ語られます。

結論の後半はこうした三つの形態と脳との関係が問題になりますが、
これは次々回のお楽しみということになりそうです。

2016年10月20日木曜日

ドゥルーズ&ガタリ『哲学とは何か』読書会 第三十八回


日時:10月25日(火曜日) 18時30分-20時半
場所: 都内某所
テクスト:ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』
(財津理訳、河出書房新社、2012年)
範囲:第二部第七章「被知覚態、変様態、そして概念」323-336頁
   結論「カオスから脳へ」337-?頁
担当:大久保

今回で第七章を読み終わり、結論部に入ります。
最低でも今年中には『哲学とは何か』を読み終わることができそうです。

今回は、まず、主に絵画の技法を例としながら、
合成=創作composition平面が、
技術的なものと美的=感性的esthétiqueなものとに分類されます。
そして、感覚がマテリアルの中で実現される場合
(技術的平面を美的=感性的平面が覆う場合)と、
マテリアルが感覚のなかに移行する場合
(技術的平面が美的=感性的平面へと上昇する場合)とが考察されます。
すなわち、前者が感覚をマテリアルに投射する
再現=代理的な平面(一般的な絵画)であるのに対して、
後者が、マテリアル自体がいわば表現する平面(抽象絵画など)です。
この両者を抽象的な極として現実の絵画や芸術は
その間に位置づけられることになります。

第七章の最後では、思考の三つの形態、哲学、科学、芸術が、
カオスとの闘いという観点から整理されます。
おそらくヘーゲルとの差異化のためでしょうが、
ここでの強調点は、三つの形態が総合されるわけでも秩序化されるのでもなく、
それぞれが同じ資格であり、それぞれ特異なものであることにあります。

結論部では、まず、カオスから身を守るために
われわれはオピニオンを必要とすると語られます。
無限の速度で変化する無秩序から身を守るために必要とされる、
規則や秩序。
明らかにヒュームやカントの問題圏の語彙で語られるのが
興味深いところです。

そして、哲学、科学、芸術がそれぞれの仕方で、
こうしたオピニオンをむしろカオスに、無限に開こうとしていることが
語られます。
つまり、三つの思考の形態は、カオスに対する闘いであると同時に、
オピニオンに対する闘いでもあるわけです。

結論部はこれまでの問題の語り直しである面が強いので、
比較的簡単に読み進めることができると思います。

2016年7月5日火曜日

ドゥルーズ&ガタリ『哲学とは何か』読書会 第三十七回

早くも次回の読書会のご案内です。

日時:7月12日(火曜日) 18時30分-21時
場所: 都内某所
テクスト:ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』
(財津理訳、河出書房新社、2012年)
範囲:第二部第七章「被知覚態、変様態、そして概念」315-336?頁
担当:大久保

今回は都合により第二週に行います。

いよいよ今回で第七章を読み終わることができるかもしれません。 
希望的観測ですが。。。

前回の範囲で、「感覚存在」である芸術作品を構成する要素として
「肉」と「家」と「宇宙」が挙げられ、個々に分析されました。
そこでは主に例として挙げられていたのは絵画でしたが、
今回の範囲ではまず、文学や音楽を例として
これらの要素が分析されます。

次に、主に絵画の技法を例としながら、
合成=創作composition平面が
技術的なものと美的=感性的esthétiqueなものとに分類されます。
すなわち、感覚がマテリアルの中で実現される技術的平面と、
マテリアルが感覚のなかに移行する美的=感性的平面。
このへんは僕にもよく理解できていないので、
みなさんと読み進めながら理解を深めたいと思います。

今回たどり着けるかわかりませんが、第七章の最後では、
思考の三つの形態、哲学、科学、芸術が、
カオスとの闘いという観点から整理されます。
ここでは、三つの形態が総合されるわけではなく、
それぞれが特異なものであることが強調されます。
どちらかというと、結論への助走という面が強そうです。

いよいよ本書の終わりが見えてきましたね。
がんばって読み進めていきましょう。

2016年6月22日水曜日

ドゥルーズ&ガタリ『哲学とは何か』読書会 第三十六回

読書会のご案内です。

日時:6月28日(火曜日) 18時30分-21時
場所: 都内某所
テクスト:ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』
(財津理訳、河出書房新社、2012年)
範囲:第二部第七章「被知覚態、変様態、そして概念」303-317?頁
担当:大久保

今回も引き続き第7章の後半が範囲になります。

今回の範囲では、まず、現象学の「肉」の概念を借りて、
それを絵画における「面」と「背景(とりわけ単色ベタ塗りの)」と
接続することで、肉・家・宇宙という新たな三つ組が提示されます。
この三つ組によって主に絵画が分析されます。

そしてこの三つ組が今度は、『千のプラトー』でのリトルネロ論と
接続されることになります。
家としてのテリトリー、さらにはそうしたテリトリーを組み合わせた
無限の宇宙としての合成=創作composition平面。
こうしたテリトリーの観点から、絵画だけではなく建築や文学も
論じられます。

このように、今回の範囲でようやくD&Gの芸術論の全貌が
見渡せそうです。
どうぞお楽しみに。


2016年5月25日水曜日

ドゥルーズ&ガタリ『哲学とは何か』読書会 第三十五回

日時:5月31日(火曜日) 18時45分-21時
場所: 都内某所
テクスト:ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』
(財津理訳、河出書房新社、2012年)
範囲:第二部第七章「被知覚態、変様態、そして概念」293-309?頁
担当:大久保

今回も引き続き第七章を読みます。

前回までの範囲では、被知覚態 perceptと変様態 affectが、
主体における知覚 perception・変様=感情 affection・オピニオンの
三つ組の枠をはみ出ているとされ、
さらにこの問題が生や生成の観点から語られてきました。

今回の範囲ではまず(前回も少し読みましたが)、
出来事が芸術作品に現働化するのではなく受肉するという
事態が語られます。
これによって哲学概念と芸術作品の関係が論じられます。

次に、この受肉の問題をさらに分析するために、
おそらくメルロ=ポンティを意識しながら、
現象学の「肉」の概念への批判が行われます。
D&Gによれば、被知覚態と変様態を担うには
「肉」のエレメントだけでは不十分で、
「家」と「宇宙」のエレメントが必要だと語られます。

このあたりの議論はかなり難しく、
僕もまだ十分には理解できていません。
みなさんと議論しながら理解を深められたらと思っています。

(2015/05/26 一部文面修正)

2016年4月12日火曜日

ドゥルーズ&ガタリ『哲学とは何か』読書会 第三十四回

読書会のお知らせです。

日時:4月19日(火曜日) 18時30分-21時
場所: 都内某所
テクスト:ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』
(財津理訳、河出書房新社、2012年)
範囲:第二部第七章「被知覚態、変様態、そして概念」282-296?頁
担当:大久保

前回から芸術を扱う第七章に入りました。
今回も引き続き第七章を読みます。

本章の冒頭でひとまずD&Gによる芸術の定義は済んでいるので、
今回の範囲は被知覚態perceptと変様態affectの具体的な例を
挙げる作業がひたすら続きます。
鑑賞者や創作者の知覚perceptionや変様=感情affectionや
オピニオンから離れて、非人間的なものとなった
被知覚態と変様態を、具体例を通して読者に何とかして
感じさせよう、というところでしょうか。

したがって、例として挙げられている作品を知らないと
読むのがなかなか辛い範囲でもあります。
絵画など参照しやすいものはその都度参照しながら、
読み進めることにしたいと思います。
また、カントやハイデガーといったこれまでの哲学者の
芸術論と何が異なっているのか、このへんも議論できればと
思います。

2016年3月15日火曜日

ドゥルーズ&ガタリ『哲学とは何か』読書会 第三十三回

読書会のお知らせです。

日時:3月22日(火曜日) 18時30分-21時
場所: 都内某所
テクスト:ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』
(財津理訳、河出書房新社、2012年)
範囲:第二部第六章「見通しと概念」270-273頁
      第七章「被知覚態、変様態、そして概念」274-280?頁
担当:大久保

今回から火曜日の開催になります

今回はまず、前回積み残した第六章の最後の部分を読みます。
その後いよいよ第七章に入ります。

前回は主に「出来事」概念についていろいろと議論をしましたが、
第六章の最後では、この出来事と科学のファンクションの関係が
問題になります。
両者はそれぞれ反実現と現働化という反対方向の運動を含んでいますが、
必ずしも対立するものではなく、むしろ切り離せないというのが
D&Gの主張です。

そして今回こそ芸術を扱う第七章の読解に本格的に入れそうです。
前回も書いたように、D&Gにとっての芸術作品とは、
ある感覚を保存するものであり、
しかもこの感覚 (被知覚態perceptや変様態affect) は、
創作者からも鑑賞者からも、さらには作品のマテリアルからも
独立して存在すると彼らは主張します。
しばらくは芸術作品のこうした独特のあり方が問題になります。
最近は芸術に関わりのある方が参加者に多いので
議論が盛り上がるといいなと思います。

2016年3月4日金曜日

読書会の日程についてのお知らせ

読書会の日程について、お知らせです。

この数年、月の第三金曜日で読書会を開いてきましたが、
この3月からは、月の第三火曜日に開くことになりました。
一年ほどはこの日程で動かないと思います。
次回は3月22日になります。

金曜日だとなかなか参加しづらいという声もいただいていました。
これを機会にまた多くの方にご参加いただければうれしいです。
お問い合わせは→のグーグル・グループのリンクよりお願いします。

ここ数年はドゥルーズ&ガタリの『哲学とは何か』を
ちまちまと読んできました。
おそらく今年の夏頃には読み終われると思います
(希望的観測ですが...)。

『哲学とは何か』のレジュメの公開が滞っていますが、
近日中にはまとめて公開できると思います。
ご期待ください。

『哲学とは何か』を読み終わったあとは、
ドゥルーズの大作、『シネマ』に挑む予定です。
(↓アマゾンへのリンクです)

プロジェクターを使って、参照されている映画を実際に見ながら
読解をすすめていくことになると思います。
こちらもどうぞご期待ください。

以上、お知らせでした。


2016年2月15日月曜日

ドゥルーズ&ガタリ『哲学とは何か』読書会 第三十二回

読書会のお知らせです。

日時:2月19日(金曜日) 18時30分-21時
場所: 都内某所
テクスト:ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』
(財津理訳、河出書房新社、2012年)
範囲:第二部第六章「見通しと概念」261-273?頁
      第七章「被知覚態、変様態、そして概念」274-?頁
担当:大久保

今回はまず、前回に引き続き第六章の最後の部分を読みます。
科学についての議論の復習ののち、
哲学の概念が「出来事」として捉え直されます。

前回のお知らせでも書いたように、
この範囲はこれまでのドゥルーズ哲学の復習の面が強く、
合-間entre-temps、生成、反-実現など、
これ以前の著作での「出来事」の特徴がそのまま出てきます。
ただ、バディウなどは『差異と反復』や『意味の論理学』と
『哲学とは何か』のあいだに差異を認めてもいるようなので、
このあたりの議論も紹介しつつ読み進めたいと思います。

そしてその後、できれば第七章の冒頭だけでも読めればと
思っています。
D&Gは芸術について語るにあたって、
まず、芸術作品の定義からはじめます。
彼らによれば、芸術とはある感覚を保存するものであり、
しかもそれは、創作者からも鑑賞者からも独立して
存在するものです。
芸術が保存する感覚についての緻密な議論を辿ることから
第七章の読解を始めたいと思います。
お楽しみに。

2016年1月10日日曜日

ドゥルーズ&ガタリ『哲学とは何か』読書会 第三十一回

読書会のお知らせです。

日時:1月15日(金曜日) 18時30分-21時
場所: 都内某所
テクスト:ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』
(財津理訳、河出書房新社、2012年)
範囲:第二部第六章「見通しと概念」255-273?頁
担当:大久保

今回は、前回のバディウの箇所の復習からはじめ、
第六章の最後の部分を読みたいと思います。
今回の箇所は、これまでの議論を復習しながら、
潜在性の観点からファンクションと概念の関係を
整理する議論が中心です。

潜在的なカオスから、現働化した物の状態や物や体へという
下りの線を扱うのが科学や論理学などの役目だとしたら、
この現働化した状態から、線を遡って潜在性へと至り、
出来事としての概念や共立的な内在平面を見出そうとするのが
哲学の役目だとD&Gはまとめます。

こうした議論のなかで、ドゥルーズの哲学ではおなじみとも言えるテーマ、
出来事概念が大きく扱われます。
死の時間(日本語訳ではどうもそう訳されていないようですが)、
反実現、出来事の範例としての戦争や傷など、
『差異と反復』や『意味の論理学』で出来事に関して議論されてきたテーマが
今回の範囲で再び取り上げられます。
どれもドゥルーズ哲学の本質的テーマで、
しかもなかなか難しいところでもあるので、
議論しながら理解を深められたらと思います。

今回は少し早めに切り上げて、新年会の鍋を
つつくことにしましょう。