2016年10月20日木曜日

ドゥルーズ&ガタリ『哲学とは何か』読書会 第三十八回


日時:10月25日(火曜日) 18時30分-20時半
場所: 都内某所
テクスト:ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』
(財津理訳、河出書房新社、2012年)
範囲:第二部第七章「被知覚態、変様態、そして概念」323-336頁
   結論「カオスから脳へ」337-?頁
担当:大久保

今回で第七章を読み終わり、結論部に入ります。
最低でも今年中には『哲学とは何か』を読み終わることができそうです。

今回は、まず、主に絵画の技法を例としながら、
合成=創作composition平面が、
技術的なものと美的=感性的esthétiqueなものとに分類されます。
そして、感覚がマテリアルの中で実現される場合
(技術的平面を美的=感性的平面が覆う場合)と、
マテリアルが感覚のなかに移行する場合
(技術的平面が美的=感性的平面へと上昇する場合)とが考察されます。
すなわち、前者が感覚をマテリアルに投射する
再現=代理的な平面(一般的な絵画)であるのに対して、
後者が、マテリアル自体がいわば表現する平面(抽象絵画など)です。
この両者を抽象的な極として現実の絵画や芸術は
その間に位置づけられることになります。

第七章の最後では、思考の三つの形態、哲学、科学、芸術が、
カオスとの闘いという観点から整理されます。
おそらくヘーゲルとの差異化のためでしょうが、
ここでの強調点は、三つの形態が総合されるわけでも秩序化されるのでもなく、
それぞれが同じ資格であり、それぞれ特異なものであることにあります。

結論部では、まず、カオスから身を守るために
われわれはオピニオンを必要とすると語られます。
無限の速度で変化する無秩序から身を守るために必要とされる、
規則や秩序。
明らかにヒュームやカントの問題圏の語彙で語られるのが
興味深いところです。

そして、哲学、科学、芸術がそれぞれの仕方で、
こうしたオピニオンをむしろカオスに、無限に開こうとしていることが
語られます。
つまり、三つの思考の形態は、カオスに対する闘いであると同時に、
オピニオンに対する闘いでもあるわけです。

結論部はこれまでの問題の語り直しである面が強いので、
比較的簡単に読み進めることができると思います。