日時:12月13日(火曜日) 18時30分-21時
場所: 都内某所
テクスト:ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』
(財津理訳、河出書房新社、2012年)
範囲:結論「カオスから脳へ」344-368頁
今回でなんとか『哲学とは何か』を読み終わりたいと思いますが、
ページ数が多いので果たしてどうなりますか…。
前回、哲学、科学、芸術という思考の三つの形態が
カオスとの闘いであると同時にオピニオンとの闘いであることを
見ました。
今回の範囲では、まず、これまでの叙述をふまえ、
それぞれの思考の形態が実際にどのようにこの二つ戦線での
闘いを繰り広げていたのか、簡潔にまとめられます。
結論の後半では、こうした問題が、突如、
脳の問題として捉え直されます。
思考のそれぞれの形態の描く平面が接合される場としての脳。
そして、ゲシュタルト理論を批判しつつ、
その脳が、認識の対象ではなく、むしろ思考の主体sujetであると
主張されます。脳とは精神espritである、と。
その後、哲学、芸術、科学のそれぞれにおいて
脳がどのようにして主体であるのか、確認されます。
本書の最終部分では、思考の三つの平面同士の干渉が
問題となります。
さらに、各平面自身に内在する干渉として、
《非》Nonとの関係が挙げられます。
思考のそれぞれの形態は、それ自身にとっての《非》と
本質的な関係をもち、この《非》は、各平面が
カオスと立ち向かう臨界点において見い出される、と。
さらには、この《非》が「来るべき民衆」と重ね合わせられたところで
本書は終わりを迎えます。
次回も難解な論点が盛り沢山ですが、
がんばって読み切りましょう。
今回でなんとか『哲学とは何か』を読み終わりたいと思いますが、
ページ数が多いので果たしてどうなりますか…。
前回、哲学、科学、芸術という思考の三つの形態が
カオスとの闘いであると同時にオピニオンとの闘いであることを
見ました。
今回の範囲では、まず、これまでの叙述をふまえ、
それぞれの思考の形態が実際にどのようにこの二つ戦線での
闘いを繰り広げていたのか、簡潔にまとめられます。
結論の後半では、こうした問題が、突如、
脳の問題として捉え直されます。
思考のそれぞれの形態の描く平面が接合される場としての脳。
そして、ゲシュタルト理論を批判しつつ、
その脳が、認識の対象ではなく、むしろ思考の主体sujetであると
主張されます。脳とは精神espritである、と。
その後、哲学、芸術、科学のそれぞれにおいて
脳がどのようにして主体であるのか、確認されます。
本書の最終部分では、思考の三つの平面同士の干渉が
問題となります。
さらに、各平面自身に内在する干渉として、
《非》Nonとの関係が挙げられます。
思考のそれぞれの形態は、それ自身にとっての《非》と
本質的な関係をもち、この《非》は、各平面が
カオスと立ち向かう臨界点において見い出される、と。
さらには、この《非》が「来るべき民衆」と重ね合わせられたところで
本書は終わりを迎えます。
次回も難解な論点が盛り沢山ですが、
がんばって読み切りましょう。