2017年11月16日木曜日

『シネマ』読書会 第10回

読書会のお知らせです。

日時:11月22日(水曜日)19時30分-21時
場所: 都内某所
テクスト:ジル・ドゥルーズ『シネマ1』
(財津理・齋藤範訳、法政大学出版局、2008年)
範囲: 第5章「知覚イメージ」第二・三節 138–153頁?
担当: エリス/上田

今回は第5章「知覚イメージ」の第二節と第三節が範囲になります。

第一節では、主観イメージでも客観イメージでもない
「半主観」のイメージが問題になっていました。
第二節でも、同じく、主観イメージから、第4章で描かれたような
イメージの相互作用の世界、汎イメージの世界への移行が問題となりますが、
ここでは、フランス戦前派の作品を参照しながら、
水の運動のイメージがそうした移行を可能にするものとして分析されます。

第三節では、主にヴェルトフの理論や作品に依拠しながら、
同様の移行を映画で実現する手法として、モンタージュが取り上げられます。
第4章では知覚を可能にするものとして記されていた「間 écart」
(刺激とそれへの反応のあいだの間)が、
ここではイメージとイメージとの「間」として読み替えられ、
イメージのアジャンスマン、イメージ同士の非共役的関係であるモンタージュが、
「半主観」的なカメラ・アイを可能にするものだと言われます。
さらには、エイゼンシュテインのモンタージュ理論と対比しながら、
ヴェルトフのモンタージュが知覚の発生的要素にまで到達しているとされます。

この第三節は、ドゥルーズやドゥルーズ&ガタリのさまざまな概念装置が
一挙に導入されているだけでなく、
下巻につながる論点がすでにいろいろと提出されている
(たとえば、運動イメージのアジャンスマンと言表行為のアジャンスマンの関係)ので、
じっくり読み進めたいところですね。
さまざまな実験映画も参照されているので、できればそれも見ておきたいところです
(単純に楽しそうです)。


(以下、11月26日の追記です。報告者だったエリスさんによる会の振り返りです)

議論も活発に進行し、乙部さんの(いつも通り)わかりやすすぎる解説のもとに
テクストの理解を深めることができたと思います。

今回の争点としては、
・p.143~の「映画眼」においては、「動くカメラ」も重要なのか、
それともここではおもに「モンタージュ」の話だけをしているのか

・p.146 「アジャンスマン」という言葉の意味、解釈について
(unit的なものか?
また、機械状アジャンスマンと言表行為の集団的アジャンスマンの関係は?)

・知覚の発生論的定義における「微分」の解釈
(そこから現実という曲線が生産されるところの微分)
などが挙がったと思います。

p.148の2段落目〜は軽く読んだだけなので、
次回はその復習から始めるのがいいかと思います。