2018年2月23日金曜日

『シネマ』読書会 第13回

読書会のご案内です。

日時:2月28日(水曜日)18時30分-21時
場所: 都内某所
テクスト:ジル・ドゥルーズ『シネマ1』
(財津理・齋藤範訳、法政大学出版局、2008年)
範囲と担当: 第7章「感情イメージ—力、質、任意空間」
第一節(181–192頁)乙部
第二節(192–197頁)守屋

今回は、第6章最後の部分の復習から入り、
その後、第7章「感情イメージ」の第一節と第二節を扱います。
おそらく第二節の途中で時間切れになるでしょうか。

第7章第一節では、
まず今回もドライヤー『パンドラの箱』のシーンを参照しながら、
現実に存在する事物状態(état de choses)の次元と、
そうした物によって表現される純粋な質や力、すなわち情動=出来事の次元とが、
峻別されます。
その上で、そうした情動=出来事を映画がどのように表現しているのか、
モンタージュ等の技法にそくして具体的に分析されます。
特に第一節後半は、ドライヤーの『裁かるるジャンヌ』が
特権的な分析対象となっているので、
ご覧になっておくことをおすすめしておきます。
例のごとくユーチューブのリンクはこちら

第二節では、今度はブレッソンの作品を参照しながら、
情動は、ドライヤーの場合のように
必ずしも顔やクローズアップによっては表現されず、
空間の「断片化」、すなわち「任意空間」と、
それら同士の無数のつなぎによっても表現されることが明らかにされます。
ここでもやはりブレッソンの作品を見ることで理解が進むでしょう。
ブレッソンの作品もユーチューブで断片的に見れますが、
ドゥルーズが最初に参照している『ジャンヌ・ダルク裁判』の予告編がこちら

第二節ではさらに、パースの用語を使って、
顔によって表現される感情イメージが「類似記号」(Icône)と、
任意空間によって表現される感情イメージが「性質記号」(Qualisigne)と呼ばれ、
分類されます。
そして、この性質記号の例としてヨリス・イヴェンヌの作品が参照されます。
参照されている『雨』は、12分と短いドキュメンタリーで、

ドゥルーズの情動や出来事といった概念は、彼の哲学の中心に位置しつつも、
わかるようでわからない難解な概念ですが、
今回は具体的な映画作品が多く参照されているので、
これらの作品を見ながらこうした概念について改めて検討できればと思います。

(以下、読書会後の3月4日の追記です。)

前回、議論になった点としては、
・カフカを参照して言われる「亡霊」とは何か?
・なぜカフカやヴェンダースが、少し唐突にここで参照されるのか?
 ヴェンダースの本書における位置づけとは?

・特異性とは何か? (『差異と反復』や『意味の論理学』での議論の復習)
・「成就されても実現されえない出来事の持ち分」(ブランショ)とは?
 そもそもドゥルーズのいう「出来事」とは何か?
 (「68年5月は起こらなかった」の参照)
・顔を「背けること détournement」とは具体的にはどういうことか?
 ハイデガーとの関連はあるのか?

・顔のクローズアップと任意空間との違いは何か?

などでしょうか。
守屋さんや谷口さんのおかげで、実際に映像を見たり、
映画史的な前提を参照したりしながら、理解を深めることができたと思います。

ただ、第7章第二節は少し駆け足で読んでしまったので、
次回の最初に簡単に振り返ることができればと思います。
特に、感情イメージの発生的エレメントと言われる任意空間については、
特異性との関連で僕自身誤読していたかもしれず、
少しミスリーディングな解説をしてしまったかもしれません。
任意空間の議論は、知覚イメージの発生的エレメントの議論と合わせて、
この『シネマ』におけるフィルムという物質の位置づけに関して
重要なポイントになっている感じがします。
このへんも詳しく次回議論できればと思います。