2019年2月24日日曜日

『シネマ』読書会 第24回 再び

読書会のお知らせです。
前回のお知らせから間が空きました。

日時:2月27日(水曜日)18時30分-21時
場所: 都内某所
テクスト:ジル・ドゥルーズ『シネマ1』
(財津理・齋藤範訳、法政大学出版局、2008年)
範囲:
範囲: 第11章「フィギュール、あるいは諸形式の変換」第三節(328頁–)
第12章「行動イメージの危機」第一節(341頁–)
担当: 大久保

先月は流会となったので、以前お知らせしたのと同じ範囲になります。

第11章第三節では、黒澤明と溝口健二が、
それぞれ大形式と小形式の変形として論じられます。
黒澤明の場合は、登場人物を行動へと突き動かす「問い」が、
中心的な問題として扱われます。
溝口健二の場合は、異質な断片的空間が連結され、
最終的には宇宙線や逃走線へとつながっていくと論じられます
(溝口の典型的なテーマである男女の逃避行を思い出すべきでしょう)。
黒澤も溝口も有名な作品ばかりが参照されていますので、
この機会に見ておくとよいかと。

第一巻の最後を飾る第12章のうち、今回は第一節を読みます。
まず、パースにしたがって「三次性」の概念が導入されます。
ドゥルーズのいつもの圧縮された記述でなかなか難しいところですが、
なんとか共通理解を得られればと思います。

ドゥルーズはこの三次性で「心的イメージ」という新たなイメージを説明していきます。
この三次性や心的イメージの例として、まず、マルクス兄弟が参照されます。
参照されている『マルクス一番乗り』の予告編らしきものがこちら
本文中で参照されるシーンも出てきます。

そして、第一節の後半三分の二では、ヒッチコックの映画が分析されます。
三次性が物事同士の「関係」を扱うものであるため、
推理という「関係」の解釈を中心に進むヒッチコックの映画が大きく扱われるのは
当然といえば当然でしょう。
ここではたくさんの作品が参照されていますが、
冒頭で大きく扱われているのは、『ロープ』です。その予告編がこちら