2019年6月24日月曜日

『シネマ』読書会 第28回

直前のお知らせになりますが、読書会のご案内です。

日時:6月26日(水曜日)18時30分-21時
場所: 都内某所
テクスト:『シネマ2』(宇野邦一他訳、法政大学出版局、2006年)
範囲と担当: 第1章「運動イメージを超えて」第二・三節(17頁–?) 上田

今回は、小津安二郎の分析に捧げられた第二節と、
感覚-運動図式の紋切り型を越えて
真のイメージを獲得するための技法を素描する第三節を読みます。
第二巻の主要な問題がはじめて問われる、重要な箇所になります。

第二節では、小津に対して「音記号と光記号の発明者」という最大限の賛辞が送られ、
どのようにして純粋な光学的-音声的イメージが作り出されているのか分析されます。

ドゥルーズによれば、小津においてはありふれた生活が、
切り詰められた手法で映し出されることで、
イメージの純粋な光学的・音声的側面が強調されることになります
(イメージの唯物性とでも言えそうです)。
さらに、『晩春』の終わりに現れる壺のイメージを特権的な例として、
時間イメージが語られます。
すなわち、時間のなかの変化を表現する、不動の形態としてのイメージです。

第三節では、まず、純粋な光学的・音声的イメージが、
感覚-運動図式に回収されない何か耐え難いものを表し、
これによって紋切り型の向こうにある真なるイメージを垣間見させると語られます。

このあたりは、第二巻全体の予告的な意味合いもあって、
かなり駆け足で語られているので、
ドゥルーズのロジックを明確に切り出すのは難しそうですが、
議論しながら大まかな枠組みだけでも共有したいところです。