日時:1月31日(火曜日) 18時30分-21時
場所: 都内某所
テクスト:ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』
(財津理訳、河出書房新社、2012年)
範囲:結論「カオスから脳へ」355-367頁
前回、本書の最終部分が残ってしまったので、
今回が本書の読書会の最終回になります。
また、読み終えたあとは、本書全体についての議論や、
次に読む『シネマ』について簡単な導入もできればと思います。
前回の範囲では、カオスとオピニオンとの二重の闘いを繰り広げる
思考の三つの形態、哲学、科学、芸術に対して、
脳は、それぞれの形態の描く平面が接合される(統一されるのではなく)
器官として位置づけられました。
さらに、人間が考えるのではなく脳が考えるのだとされ、
脳こそが思考の「主体sujet」であると主張されました。
今回の範囲では、まず、思考の形態ごとに
主体のあり方が分類され、
前回扱った、自己俯瞰する「自己超越体superjet」としての
哲学的主体、
感覚を観照し縮約する、自己享受としての主体(injet)である
芸術的主体、
認識する主体(ejet)としての科学的主体がそれぞれ論じられます。
本書の最終部分では、前回も紹介したとおり、
思考の三つの平面同士の干渉が問題となります。
そしてさらに、各平面に内在する干渉として、
《非》Nonとの関係が挙げられます。
思考のそれぞれの形態はそれ自身にとっての《非》と
本質的な関係をもち、この《非》は、各平面が
カオスと立ち向かう臨界点において見い出される、と。
この《非》が「来るべき民衆」と重ね合わせられたところで
本書は終わりを迎えます。
長かった旅も今回でひとまず終わりです。
本書全体をめぐって楽しく議論できればと思います。
前回、本書の最終部分が残ってしまったので、
今回が本書の読書会の最終回になります。
また、読み終えたあとは、本書全体についての議論や、
次に読む『シネマ』について簡単な導入もできればと思います。
前回の範囲では、カオスとオピニオンとの二重の闘いを繰り広げる
思考の三つの形態、哲学、科学、芸術に対して、
脳は、それぞれの形態の描く平面が接合される(統一されるのではなく)
器官として位置づけられました。
さらに、人間が考えるのではなく脳が考えるのだとされ、
脳こそが思考の「主体sujet」であると主張されました。
今回の範囲では、まず、思考の形態ごとに
主体のあり方が分類され、
前回扱った、自己俯瞰する「自己超越体superjet」としての
哲学的主体、
感覚を観照し縮約する、自己享受としての主体(injet)である
芸術的主体、
認識する主体(ejet)としての科学的主体がそれぞれ論じられます。
本書の最終部分では、前回も紹介したとおり、
思考の三つの平面同士の干渉が問題となります。
そしてさらに、各平面に内在する干渉として、
《非》Nonとの関係が挙げられます。
思考のそれぞれの形態はそれ自身にとっての《非》と
本質的な関係をもち、この《非》は、各平面が
カオスと立ち向かう臨界点において見い出される、と。
この《非》が「来るべき民衆」と重ね合わせられたところで
本書は終わりを迎えます。
長かった旅も今回でひとまず終わりです。
本書全体をめぐって楽しく議論できればと思います。