こちらのブログでは告知ができませんでしたが、
『シネマ』読書会第17回が6月19日に行われました。
読んだ範囲は、上巻の第9章第1節途中まででした。
以下、当日のレジュメ担当だった谷口さんによる振り返りです。
遅くなってしまいましたが、前回の『シネマ』読書会を軽く振り返りたいと思います。
まず、ドゥルーズがSと呼ぶものは、
単純な環境(→そもそも「環境」とはなんぞや?)に留まらず、
その中で行動する人物なども含んでいそうなこと(上田くんによる指摘)。
それから、249頁の「二次性」の意味について、
7章などとの比較を通して議論しました
(エリスさんからの疑問提起→結局僕はまだパースについて全然理解できていません汗)
シェストレームの『風』については、
起源的世界なのか任意空間なのか事物状態なのか、見方によってどうとでもなるじゃん!
というツッコミが入りましたね。
それと、大久保さん的には
第五段落でドキュメンタリーが入ってくる必然性がいまいちピンとこなかった、
とのこと。
逆に第六段落の「倫理的形式」(民衆と指導者)の構図は、
その後も引き継がれていくので重要であるとの見解も述べて下さいました。
フィルムノワールについては、
欲動イメージとの破壊性の違いが上田くんによってまとめられ
(環境によっての堕落か、内部からの堕落か)、
僕はスッキリとしました。
ウエスタンの話は次回も続いていきそうなので、
とりあえずこんなところでしょうか。
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